<開店第176日目>TiGOトイーゴSBC(2F)
第6回「まちづくりミーティング」は、’’語る人=原田要氏(91歳)、聞き手=星野嘉助氏(74歳)’’のコンビで開催。「不戦」:’’非人道的なことを平気でやる戦争は絶対やってはならない’’と元零戦隊長の原田要さんは語られた。


昨日、私の知人が開催したイベントで、元零戦(ゼロ戦)隊長の体験談をお聞きした。この8月で92歳になられるそうだ。大正5年生まれ。
すばらしくお元気で、声に張りが合って大きく、背筋がしゃんとしておられる。お話の仕方も、要領よく、無駄な言い回しや語句がない。鮮明な記憶にも驚かされた。戦争という辛いお話をされているのに、時折笑顔もみられ、そのお人柄にも、ただただ敬服あるのみだった。
太平洋戦争勃発の象徴、ハワイ真珠湾攻撃(16.12.6)に参加、ミッドウェー開戦に参戦、インドネシアセレベス島参戦、日米激戦の地ガダルカナル上空で被弾して墜落、トラック島の海軍病院で蘇る。こうした経歴の持ち主である。
「零戦」という爆撃機は物凄く優秀な飛行機で、操縦が楽なうえになめらか、敵機の後方に回り込むのに長け、長距離飛行にも耐え、全幅の信頼を持って乗っていたので、戦闘は負ける気はしなかったそうである。
こうした「零戦」のその優秀さゆえ、真珠湾攻撃が決断され、その優秀さゆえ、後続機の開発に遅れを取ったと、開戦・敗戦(20.8.15)の冷静な分析も披露された。
戦争といえども「零戦」にもバラシュートはあって、ヒモは身体につけていたが座席の布団替わりにしていて、墜落してもパラシュートは開くことはなかったそうである。それは、パラシュートが開いて生存し、敵の捕虜になることを恥じとして受けた、軍事教育からである。
また「攻撃は最大の防御」と、有能な零戦といえども、機体に対してもパイロットに対しても「守りには弱い」ものであったという。企業経営の陥り易い教訓にも聞こえる。
もちろん、戦歴を誇るような言葉は一言もない。ミッドウェー開戦のとき海上に4時間漂流したときの時計と、ガダルカナルの空中戦で自らが負った左上腕のキズを、戦争を憎む拠り所にして、世界平和を願ってきたことを、昨年のアメリカテキサス州ニミッツ博物館(現国立太平洋戦争資料館)のイベントに招待された折、「ゼロファイター」としてメッセージし、時計と飛行帽を寄贈されたそうである。
零戦飛行兵としてご自身で体験した状況を生々しく分かりやすく話してくださったが、このように話せるようになったのは、最近のことだという(正確には確認できなかった)。
その理由も、お聞きできなかったが、たぶんその理由の一つであろうと思われるのだが、この戦争についてどう思われますか?との質問には、おおよそこのように答えておられた。
「戦争ほど罪悪なことはない。なぜなら戦争は手段を選ばないから。非人道的なことをやらなければならない。その大きな犠牲が、今のような平和な社会になっても残っている。原爆病や孤児問題や、ベトナム戦争の枯れ葉剤の後遺症のように。私自身の体験からも子供のときの環境が怖いと思った。大きな犠牲があった戦争の歴史を正しく伝えたい」
昭和43年には託児所を自ら開設し、47年には幼稚園となり、現在は理事長として、園児の顔を見るのが元気な秘訣とか。やさしい笑顔で「子供は、見ているだけでいいんです‥‥」という名セリフを残して、送りのクルマに乗られた。凄い教育者でもあると感じた。(イッツ・エンタープライズ代表:細川順子さん記)

コメントする