北野美術館の設立の思い出

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、、、、、当時、個人寄附による博物館法に合致した私立美術館の設立申請は、隣接近県には例がなかった。私は吉登会長のお伴をしてたびたび上京し、関係官庁である文部省、文化庁、それに大蔵省への折衝に出向いたり、都内の美術館を視察したものだった。吉登会長の東京出張は、原則としていつも日帰り出張とご自分できめられ、それをきちんと守られた。私は早朝自宅(安茂里)より、それが冬の日であれば軍手をはめ、自転車で長野駅へ行き、会長車であるベンツの到着をお待ちし、それから一番列車で上野へ向った。そして帰りは最終列車の一本前の便で長野へ戻るというパターンを繰り返した。行き帰りの車中、会長はあまり多くを語る方ではなかった。それでもおにぎりと、ご自身でつくられたキュウリを、一緒にいただきながら、ご高説を拝聴する機会にも恵まれ、我が人生の中で、最も多くのものを吸収できた時であったと思う。、、、、北野美術館開館直後、、、、ある日、吉登初代館長にお供して、美術に精通されたお客様をご案内した。美術品を見終えたこの方はいきなり『美谷島君、こんな良い仕事をさせてもらったのだから、今までもらった給料を北野さんにおかししなさい。!』と一言。当時はおっしゃる言葉の意味すら理解できない私は25歳の未熟者であったことを思い出す。(今になって言葉の温かさ、ありがたみがしみじみ身にしみている。)、、、、、’8511月28日「社内報」原稿より)

故しらぬ涙こぼるる萩のはな 飯綱愛仁

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このページは、RRICCが2009年9月 4日 21:15に書いたブログ記事です。

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