清水金左衛門と河鍋暁斎

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時は慶応元年(1865年)!!

幕末の動乱期に、江戸から信州へスケッチ旅行に発つ河鍋暁斎と弟子の留吉、逆に信州真田藩上田から、江戸・横浜に向う養蚕業(我が信州を養蚕王国に築き上た先覚者)の清水金左衛門。この二人は大きな夢や希望を携えて中仙道・北国街道を往還したのが、慶応元年である。上州からの道中、信州に入る直前に奇峰妙義山が現れ、早速、旅具から墨、筆、紙を取り出して、妙義山を描く暁斎に対し、金左衛門はただひたすら江戸・横浜を目指して妙義山を背に碓氷峠を駆け抜けた。金左衛門は「忙中山我を観る」であり、暁斎は「閑中我山を観る」の心境と思う。

上州妙義山真景.JPG

昨秋、高齢者の仲間入りし、更に先が見通せない不安が倍増中の【苦】と【楽】が、常に交差する我がチャランポラン人生だが、過激な風刺精神や笑いとエネルギッシュな描き方の暁斎を知り、「追っかけ」になったのは19年前頃からだ。魅惑的な生き方をした反骨の絵師暁斎から【失敗の達人】である小心の私は、何かを得ようとしてきた。そして、曾孫にあたられる河鍋楠美先生とのご交誼とご指導のお陰で、7年に一度の「善光寺御開帳」と「戸隠神社式年大祭」にあたる今春も、我が生活に潤いある日々をプレゼントしてくれるような灯りさえ感じとる。これが芸術文化のパワーというものだろうか!!??

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このページは、RRICCが2009年3月18日 01:19に書いたブログ記事です。

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