2008年8月アーカイブ

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みんなで築こうみんなの長野アーキテクトカフェ住まい+まちづくり相談室

<開店第234日目(8/30)TOiGOトイーゴSBC(2F)

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開店第235日目の今日(8/30)の’’当番’’相談員は、鈴木直行氏。昼前''千曲川水辺かっぱ村''宮本廣文画伯氏が来店され河童シリーズ作品6点を当アーキテクトカフェ住まい+まちづくり相談室 フロアに展示。

みんなで築こうみんなの信州・みんなで築こうみんなのTOiGOトイーゴ

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みんなで築こうみんなの飯綱高原

9/13(土)午後1時から長野市飯綱高原ホテルアルカディア・音楽堂で開催される第21回「ながのアスペン音楽祭」の演奏曲目は大作ばかりの3曲です。

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チェロ:山本裕康

【 W.A.モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調K.423】の音楽解説(成田麗奈)

1783年の夏、ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)は頭を抱えていた。彼はオーストリアの小村ローラウ生まれの作曲家で、1763年にザルツブルクの宮廷音楽家およびコンサート・マイスターの地位に就いて以来、終生をこの地に捧げた。兄は有名な作曲家ヨーゼフ・ハイドンである。ミヒャエルはこの年、雇い主であるコロレード大司教から、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲を6曲作るよう依頼されていた。4曲は既に書きあがっていた。だが、病に倒れてしまい、あと2曲に手をつける余力は奪われてしまった。大司教は厳格な啓蒙主義者で、倹約家として名を轟かせている。仕事に穴をあけてしまったら、報酬は水の泡と消えてしまう。生活と職業生命がかかっている。絶体絶命のピンチだ。とその折しも、ミヒャエルはモーツァルト(1756-1791)が故郷ザルツブルクに帰省しているという報せを耳にした。ヴィーンでヴェーバー家の娘コンスタンツェと結婚したモーツァルトは、父レオポルトと姉に新婦を紹介するために、ザルツブルクに立ち寄っていたのだ。モーツァルトは年下ながら、親しい間柄の友人である。ミヒャエルは自分の窮地をモーツァルトに伝え、二重奏曲の残り2曲を書いてくれないかと依頼した。モーツァルトはこれを快諾し、たちまちのうちに2作品を書き上げた。こうして、代筆という形で《ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲》K.423,424が誕生した。ミヒャエルはモーツァルトに心からの感謝を贈り、この2作品のスコアを友情の証として終生大事に保管していたという。だが、モーツァルトにとっては、単に友情のために引き受けたというだけではなく、複雑な思惑も働いていたようである。モーツァルトは父レオポルトと同じく、かつてはザルツブルクの宮廷音楽家の職に就いていた。しかし、ヨーロッパ各地への演奏旅行に出かけては大絶賛を浴び、王族や貴族達からの賞賛をも拝受していたモーツァルトにとって、締まり屋でザルツブルクの地に彼を拘束しようとする大司教は厄介な存在で、度々の衝突を繰り返していた。大司教からすれば、雇い主として当然のことをしていたつもりだったろうが、自他共に認める「天才」モーツァルトは、もっと満足のいく待遇を求めていた。両者の折り合いはつかず、とうとう1781年には決定的な決別が訪れ、モーツァルトは文字通り「足蹴にされて追い出される」形でザルツブルクでの職を辞していたのである。このような経緯があったため、モーツァルトはこの代筆を引き受けることで、かつての雇い主の鼻を明かしてやり、自分の才能を見せつけてやりたい、という誘惑が働いていたであろうことは否定できない。モーツァルトがどんなにミヒャエル風の様式を心がけてみても、彼の隠しきれぬ才能と実力は、この2作品に滲み出ており、依頼主の大司教も、かつてのお雇い音楽家の手による作品だということに気づくだけの耳は持ち合わせていたであろうから。ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏という編成は、当時としても珍しい編成で、知られる限りではモーツァルトもこの2作品しか残していない。ヴィオラという楽器は伴奏楽器としての役割を担わされることが多く、オーケストラにおいてもヴァイオリンとチェロに比べて陰に隠れがちな存在であった。だが、ヴァイオリンのみならずヴィオラも好んで弾きこなしていたモーツァルトは、この二つの楽器の特徴と相性を十分に吟味し、それぞれを固有の独奏楽器として扱っている。それゆえに、ヴァイオリンが旋律、ヴィオラが伴奏、というお決まりのパターンでは決して実現することのできない幅広い音楽性が浮かび上がってくるのである。曲は全3楽章から成る。第1楽章「アレグロ」はソナタ形式で、ヴァイオリンとヴィオラが絡み合うようにして主題が紡ぎ出してゆく。展開部では二重奏法が駆使され、たっぷりと厚みのあるテクスチュアが織り上げられる。第2楽章「アダージョ」は三部形式で、ヴァイオリンとヴィオラが旋律と伴奏の役割を交互に担いながら、たっぷりと主題が歌い上げられてゆく。ヴァイオリンの奏でる主題が優美で切なさをたたえているのに対し、ヴィオラの奏でる主題は温かく優しさに満ちている。第3楽章「ロンド-アレグロ」はロンド形式で、ヴァイオリン、ヴィオラは冒頭から独立した動きを見せ、バッハを髣髴とさせるような厳格なカノンが構築されてゆく。主題には、モーツァルトが好んで度々用いているシュヴァーベン地方の民謡が取り入れられている。[アスペン音楽祭]コンサートチケットのお求めは、美鈴楽器・ヒオキ楽器・平安堂・長野MIDORI・ながの東急又はケンインターナショナルfax026-223-2324・090-3142-4820へどうぞ!! ●コンサート券¥2,000(当日¥2,500)●ランチ付コンサート券¥4,000

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<第10回「まちづくりミーティング」>
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●とき /  9月5日(金)18時~20時
●会場/ TOiGOトイーゴSBC(2F)&生涯学習センター(3F)
● テーマ/ 仮)健康旅行
●講師 / JTBヘルスツーリズム研究所 所長 古川彰洋氏
●会費(食事代含)/ 会員¥3,500-非会員¥4,500- 詳細お問い合わせ先090-3142-4820まで

みんなで築こうみんなの飯綱高原

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ピアノ:諸田由里子

9月13日(土)開催の第21回「ながのアスペン音楽祭」(於長野市飯綱高原ホテルアルカディア・音楽堂)の演奏曲目のうち「ヨハネス・ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8」のを成田麗奈氏に解説していただきました。

[アスペン音楽祭]コンサートチケットのお求めは、美鈴楽器・ヒオキ楽器・平安堂・長野MIDORI・ながの東急又はケンインターナショナルfax026-223-2324・090-3142-4820へどうぞ!!

●コンサート券¥2,000(当日¥2,500)●ランチ付コンサート券¥4,000

===ヨハネス・ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8===

《ピアノ三重奏曲第1番》作品8は、ブラームス(1833-1897)にとって特殊な意味合いを持つ作品である。潔癖で自己に厳しいブラームスは、若書きの未熟な作品の一切を破棄し、また過去の作品に手を加えることは殆ど無かった。だが、ブラームスは1854年に作曲された《ピアノ三重奏曲》作品8を、四半世紀以上も経た1890年に改訂しており、これは極めて稀有なケースといえるのである。1853年、ブラームスは演奏旅行の途につき、その途上でデュッセルドルフを訪れシューマン夫妻の門戸を叩いた。夫妻はこの若き才能ある青年を熱烈な歓迎を以って迎え、実の家族のように受け入れた。ブラームスのピアノの腕前と作品に心酔したシューマンは、自身が創刊に携わった批評誌でドイツ音楽の「新しい道」を築く者としてブラームスを大絶賛した。このことは大きな反響を呼び、過大なる期待にブラームスが並々ならぬプレッシャーを感じたことは言うまでもないが、こののち彼は周囲の期待以上の情熱と信念を以って、大作曲家ベートーヴェンに匹敵するほどの重厚な作品群を輩出してゆくのである。

1854年に《ピアノ三重奏曲第1番》が作曲された頃は、ブラームスにとって最も心安らかな環境で作曲に取り組めた束の間の時期だった。しかし、この作品が完成してまもなくのうちに、師であり友人であり家族のように慕っていたシューマンが精神の病に倒れ、ブラームスはこの上ない苦悩を抱えることになる。シューマンの病状への心配は言うまでもなく、それを支える妻クララへの心配と、抑えきれないほどの熱烈な愛情が彼を苦悶させた。1856年、シューマンは死の途につき、愛するクララとの間に、障害はなくなったかのように思われた。しかしブラームスは、かつてシューマンが予言したように、芸術家として「新たな道」を切り開いてゆくため、クララへの愛をあくまでも友情の範囲にとどめ、孤独で厳格に己の道を進むことを選んだ。

それから四半世紀のうちに、ブラームスは熟達した作曲家としての地位を獲得し、独自の音楽性を構築していた。1890年、若き日の作品《ピアノ三重奏曲第1番》を再出版する必要性が生じたとき、ブラームスはかつての作品に手を加えることを禁じえなかった。彼は友人宛の手紙に「それに鬘(かつら)をあたえたのではなく、少しばかり櫛をあてて髪を揃えただけ」と控えめに書いているが、実際のところは抜本的な改作となっている。彼は溢れ出る旋律がほとばしるままに書きとめられた豊かな作品を、熟達した辣腕をふるって一切の無駄が削ぎ落とされた、厳格な作品へと構築しなおした。多すぎる旋律や、他の作曲家のフレーズに似ていると揶揄されたものは一切排除し、辻褄の合わない形式は削除し、新たに書き加えた。とはいえ、若き日に生み出された魅力ある旋律は、その後それらを凌ぐものがないほど輝くもので、ブラームスはそれらの旋律を生かすことも忘れてはいない。その結果、この作品は若き日のブラームスと熟練したブラームスとが手を携えあった共作とでも呼ぶべきものとなっている。作品は全4楽章から成っている。第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」はソナタ形式で、若き日のブラームスを最も髣髴とさせる、疾走するようなみずみずしい主題が印象的。このあふれ出す魅力をたたえた主題に対して、熟年の腕による厳格で鋭い対旋律の数々が疼くように競合してゆき、あたかも交響曲のような決然とした世界観を構築してゆく。第2楽章「スケルツォ」は三部形式で、厳しく内省的な舞曲風の主題と、中間部の優美で温かな旋律との対比が際立つ。第3楽章「アダージョ」は三部形式で、荘厳なピアノの和音にはじまり、ヴァイオリンとチェロが加わり瞑想的な対話を重ねながら静謐な雰囲気を醸し出す。中間部のチェロによる叙情的な旋律が美しい。第4楽章「アレグロ」はロンド形式で、たたみかけるような転調やパッセージによって、落ち着くところを知らぬほどの激動感を演出してゆく。

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ヴァイオリン:川田知子

第21回目を数える「ながのアスペン音楽祭」は、9月13日午後1時から長野市飯綱高原ホテルアルカディア音楽堂で開催されますが、演奏曲目のうち

J.S.バッハ:無伴奏チェロのための組曲第1番ト長調BWV.1007」をご紹介いたします。

J.S.バッハ(1685-1750)は現在「音楽の父」として非常に名高い大作曲家である。しかし、モーツァルトやベートーヴェンと異なり、バッハは彼の存命中には大作曲家としては認められていなかった。当時彼は鍵盤楽器の演奏家としての評価は得ていたものの、雇い主たちからは、作曲家としてせいぜい二流という扱いを受けていたのだった。そんなバッハが大作曲家として地位を高めることになったのは、バッハ没後の19世紀半ばのことである。メンデルスゾーンの《マタイ受難曲》再演がバッハの歴史的価値を問うセンセーショナルとなり、受難曲やカンタータなど宗教声楽曲を中心として「バッハ・ルネサンス」が起こった。以後バッハは西洋音楽における最も偉大な作曲家として、不動の地位を獲得することになるのである。

とはいえ、器楽作品、とりわけチェロのための作品に関しては、「バッハ・ルネサンス」の時期ですら脚光を浴びることはなかった。《無伴奏チェロのための組曲》の「発掘」は、20世紀の名チェリスト、パブロ・カザルスの存在を抜きに語れない。彼は少年時代、父に連れられてバルセロナの古い楽器店に立ち寄った際、偶然ある一束の楽譜に目を惹かれた。少年はその楽譜を大事に胸に抱えて持ち帰り、練習部屋で楽譜を読み出すとたちまちその魅力のとりこになり、貪るように弾き込んだ。それから12年もの歳月をかけて演奏法や楽曲解釈の研究を重ね、25歳の青年となったカザルスは、ようやくこの作品群を世に解き放った。それが、ほかならぬ《無伴奏チェロのための組曲》である。以降さまざまな演奏法の改良を経ながら、《無伴奏チェロ組曲》はチェリストたちが生涯をかけて取り組むほどの珠玉の作品と目され、チェリストにとっての聖典とさえみなされる作品となった。

バッハの時代には、チェロ(当時はヴィオラ・ダ・ガンバ)は通奏低音など伴奏楽器としての役割を担うに過ぎなかったが、彼はこの楽器を独奏楽器として扱い、その可能性を徹底的に探究している。当時のチェロは、技巧を凝らしたり音色で魅せるにはまだ貧弱といえる楽器であった。その特性を熟知したうえで、バッハは弦の響きを軽やかに聴かせる舞曲を含んだ組曲形式を選び、綿密に構築された実にシンプルな小品群とする方法を選んだ。このシンプルさこそが、チェリストにごまかしの利かない腕前をさらけ出すことを要求し、作品に対峙して、そこにどれほどの思想的な息吹をふき込むことができるかを問うものとなっている。

全6作品からなる《無伴奏チェロ組曲》BWV.1007~1012は、1717~1723年の「ケーテン時代」に作曲されたと言われている。同時期に書かれた《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》は姉妹作とされる。全6曲はそれぞれ第1番ト長調、第2番ニ短調、第3番ハ長調、第4番変ホ長調、第5番ハ短調、第6番ニ長調という構成になっており、番号が進むにつれて技巧的な難易度も高くなっている。全作品とも小さな舞曲を組み合わせたバロック組曲の形式をとっている。

今回演奏される第1番ト長調BWV.1007は、全6作品のうちで最も演奏される機会も多く、TVコマーシャルや映画作品などでも頻繁に用いられる人気の高い作品である。第1曲「前奏曲」は最もよく知られるフレーズで、ト長調の単純な分散和音が見事なアラベスク模様を織り上げてゆく。第2曲「アルマンド」はドイツ風の舞曲で、朗々とした旋律が力強く歌われる。第3曲「クーラント」は軽快なフランスの舞曲で、跳躍の多い溌剌とした旋律が特徴的。第4曲「サラバンド」はスペインに起源を持つ荘厳な舞曲で、重音奏法が駆使されながらたっぷりと歌い上げられる。第5曲「メヌエット」はフランスの農村生まれの踊りが宮廷で大ブレイクした典雅な舞曲で、軽快で明るい主題からなる第1メヌエットと、憂いを含んだ主題からなる第2メヌエットから構成されている。第6曲「ジーグ」は民衆の踊りに使われた舞曲で、ノリのよいテンポで軽やかで俊敏に主題が駆けめぐる。(解説:成田麗奈)

アスペン音楽祭」コンサートチケットのお求めは、美鈴楽器・ヒオキ楽器・平安堂・長野MIDORI・ながの東急又はケンインターナショナルfax026-223-2324・090-3142-4820へどうぞ!!

●コンサート券¥2,000(当日¥2,500)●ランチ付コンサート券¥4,000

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