

【体育の日】の今日(10/13)で、開店第277日目。午後1時半からの第13回「まちづくりミーテイング」開催直前、講師の原田要氏氏(92才)と昼食をご一緒しながら、ご高説を拝聴したため、緊張感を伴って会場の生涯学習センターへ御誘導。途中から講演会場を一時退席して、島「膳」オーナーと熊原真二相談員(一級建築士)と三人で打合せ。講演を終えられた佐藤要先生をお見送りした後、WEST棟2f「ハルタ」さんのレセプション・パーティに参加。ご家族連れや若い招待客で大賑わい。これからTOiGOトイーゴは、ますます面白くなること間違いなし。関連記事<都市美・自然美を探る> http://keninternational.net/tosibi/ もご高覧ください。 ===皆様、明日(10/14)は定休日です。===
長野の歴史、銀座の歴史、問御所の歴史、を振り返って見よう。
今からさかのぼる事約400年[江戸時代初め]慶長4[1599]年、将軍徳川家康の六男、松平忠輝が武蔵国深谷 [1万石所領]領主から、慶長8[1603]年12才で信濃国松城 [後の松代]城主として移封、18万石所領となる。伊達政宗の娘を妻に迎え、慶長15[1610]年、越後国高田を加増75万石となり北陸の要となりつつあったのだが・・・・・。
ところが「大坂夏の陣」出陣途上、義兄弟で家老のような立場で城代の花井遠江守吉成の子息、花井主水正義雄が将軍秀忠の旗本を殺害し、家康に勘当される・・・という事件あり、高田藩移封後忠輝は秀忠に領地没収され伊勢国に配流された。後に諏訪高島藩に幽閉、92才で没するまで義雄の息子、正木義虎は忠輝の付人として一生を捧げた。
花井吉成は松代城城代として娘を、徳川家の中で絶大な権力を握っていた大久保長安[村上義明と忠輝の付家老]に嫁がせた・・・長安の力をかりて善光寺平の治水に力を入れ、土木事業に力を発揮し、犀川改修、裾花川付替え、新田開発、等偉業を行ったが晩年、大久保長安没後長安の謀反に加担したとして処刑された。
現在の銀座のあたりは旧裾花川北岸辺りで善光寺町の場末、門前町と呼ばれるのは上八幡川、鐘鋳堰、辺りまでで町続きの街道沿いの町並みにすぎなかったが、裾花川の流れを変えたこれら土木事業によって今の中心市街地は南へ発展してきたのである。
花井吉成の尽力で今日の門前町発展の素地ができたこと忘れてはならない・・・・・アーキテクトカフェ「住まい+まちづくり相談室」 相談員(建築家)北村忠三氏「TOIGO オープン・・・長野銀座の歴史」より抜粋 みんなで築こうみんなの信州・みんなで築こうみんなのTOiGOトイーゴ

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